詩碑に続く道に足を踏み入れると、特別な空気感を感じることができます
高さが3mを超える詩碑 碑文は宮沢賢治の死後見つかった手帳に記されてた「雨ニモマケズ」の後半部分で、高村光太郎の書によるものです
詩碑道標 宮沢賢治ゆかりの場所にはこの道標が設置されています
詩碑の下には宮沢賢治の遺骨の一部や御経が納められており、命日9月21日には毎年この詩碑の前で「賢治祭」が開催されます
詩碑が建立している場所は、羅須地人協会の建物(宮沢家別邸)があった場所で、敷地から見下ろすと畑が広がっており、賢治が耕していた畑もこの辺りで、「下の畑に居ります」という意味が良く分かります
詩碑を訪れる人のための駐車場に立っている案内板 詩碑までの道のりは「賢治文学散歩道」の一部となっています
「賢治文学散歩道」脇に設置されている宮沢賢治を顕彰する石碑 告別という詩の一部が刻まれています、勤務していた農学校を自ら辞して「農業芸術の理想」実現に向けてこの地で活動する強い決意が読み取れます
「賢治文学散歩道」脇に設置されている石碑 春と修羅第三集「春」の一部が刻まれている
「賢治文学散歩道」脇に設置されている石碑 詩「あすこの田はねえ」が刻まれている
「賢治文学散歩道」脇に設置されている石碑 春と修羅第三集「饗宴」の詩が刻まれている
「賢治文学散歩道」脇に設置されているベンチと石像
「賢治文学散歩道」脇に設置されているセロ弾きのゴーシュをテーマにした石の彫刻
<フォトレポート>
<作品紹介>